たぶん、ずっとさびしかったから。
人間みたいなからだで、コボルトみたいなみみとしっぽで、でも、そのどちらでもないわたしは
小さい時からひとりぼっちでした。
お父さんとお母さんがどんな人たちだったのか、わたしは知りません。
捨てられていたわたしは自分がいったい人間なのかコボルトなのかもわからず
育ってきました。
「変な耳ー!犬みたい!」
「なんだよ、ツルツルの顔して!気持ち悪いなあ」
人間の子もコボルトの子も、わたしとはあそんでくれませんでした。小さな頃のわたしは、
さびしくて、いつもうつむいてばかりいました。
そんなころ、ひとりぼっちのわたしを見て村のパンやさんがやきたてのぶどうパンをひとつ
ごちそうしてくれたのです。それはほんのり甘くてふかふかで、おなかの底から
あったかくなるようなパンでした。
「ほら、その顔。その顔のほうが何倍もかわいいよ」
パンやさんは、自然と笑顔になるわたしの頭をなでて言いました。
おいしくてあったかいものでおなかがふくれると、とても幸せな気持ちになれると
いうことをはじめて知りました。
わたしもみんなを幸せにしてあげたいな……
それから、わたしはパンやさんを目指すようになりました。
お客さんが喜んでくれるとうれしくて、自然と笑顔でいることも多くなってきたのです。
そうするとふしぎなことにできあがったパン生地もあまくてやわらかな味になるのでした。
けれど、わたしはいつまでもおんなじ失敗をしていました。
まんまるパンをつくりたいのに、わたしのパンはしょっちゅうふたつがくっついて
雪だるまのようなかたちになってしまうのです。
「美味しいんだけど、こまったね。どうにかしてこれだけはなおさないと」
パンやのご主人はこまったように笑いました。注意しているはずなのに、
どうしてこうなってしまうのか自分でわかりません。
くっついてしまったパンは売り物にできないので、しかたなく自分でいただくか
小鳥にあげるようにしていました。
おなかをすかせたあのひとに会ったのは、ちょうどそんな頃だったのです。
今のわたしには、なんとなくあの失敗の意味がわかるような気がします。
きっと無意識のうちに、くっついたふたつのパンがなかのいい二人のように
思えていたのでしょう。
仲のいい友達。恋人。兄弟。お父さんとお母さん。
心の奥に沈めた寂しさが、くっついたパンとしてわたしの前に
顔を見せていたのだと思います。
わたしはあれからずいぶんパンづくりが上手くなりました。
もう、うっかりふたつのパンをくっつけてしまうこともありません。
今日も、いいにおいと共に焼き上がったのはおひさまのパン。
これはお店に出さず、家族でいただくためのとっておき。
まんまるバンが五つくっついて輪になったおおきなパンです。
わたしと、あのひとと、三人の子供たちがそろって食べられるように。
「おかあしゃん、いいにおい!はやくたべたいー」
「はいはい、まっててね。いまミルクをいれてあげる」
いつかこの輪がひろがって、もっともっと大きなおひさまのパンを作れたらいいな。
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